​季の家

「季の家」は、一人のプラダー・ウィリ症候群の男の子に贈られた、網走の帽子岩を望む小さな家である。この家は、彼の幸せを願った個性的な参加者(施主・設計者・職人達)が、一丸となって制作し た掛替えのない場所であり、また、彼の生きた証でもある。

所在地/北海道網走市(法22条地域)

主要用途/住宅

家族構成/3人:猪野雅史, 猪野良子, 猪野雅季

​設計監修/馬淵研究室:馬淵大宇, 依藤司

​設計施工/丹羽工務店:丹羽豊文, 丹羽利勝, 田中徳朗, 丹羽巧伊

規模/地下1階, 地上1階, 最高高さ 5.715m

   建築面積119.55㎡, 延床面積 144.93㎡

設計理念:<切れ> と <祈りの型> 

 

<切れ> 

 

「切れ・つづき」とは、異質なもの同士が互いに他の内部へと浸透しつつ、しかも全く別のものとして際立つという構造なのである。この構造を造形的に表現する「芸」もしくは技巧は、それ自体が「切れ」である。p.85

 

大橋良介:「切れ」の構造−日本美と現代世界, 中央公論社, 1986.11.10  

 

 この場所を初めて訪れた時、「なんと豊かな原生林なのか」と立ち止まって息を呑んだ。私は、雄大な北の大自然に感動していた。しかし、しばらくして、この感動がこの地域に住まう人々の内に無いことに気がつく。道を行き交う住民は、立ち止まることなくただ通り過ぎてゆく。網走の人々にとってこの場所は、変哲のない住宅地の一角に過ぎなかった。

 この家には、人々にこの場所の魅力を感化させる2つの「切れ」の「技巧」が施されている。

 1つ目の技巧は、土塀の如き外観である。延床面積(車庫除く)39坪ほどの家ではあるが、道路に沿って全長24mにも連なっている。この外観は、道を行き交う人々の視線をひとたび切る。そして、屋根の上に生い茂る大樹たちを発見させる。

 2つ目の技巧は、額の如き窓である。原生林の中からこの家をみた時、北向きに配された窓は、内部の暗がりによって鏡面化する。この窓は、手前に鬱蒼と茂る原生林を、額に入れた絵画の如くに切る。そして、手前の大樹たちが家の立面を彩り、奥に広がる原生林と重層する。

 そして、内部に入ると、この窓は、住まい手を森人(守人)のような感覚へといざなう。地下階の吹抜部分では縦にのびやかに、1階の生活部分では横に広々と原生林を切りとる。この窓によって、四季折々に変化する大樹たちのいきいきとした姿を住まい手の内に写し、木こりの如くの心情に導く。時にエゾリスと、時にアカゲラ、冬にはオジロワシのいる窓越しの森を愛でる。

 これら2つの「切れ」の「技巧」は、北の大自然と住まい手や地域の人々の営みの間の「切れ・つづき」となり、現代社会において離れてしまった両者を「互いに他の内部へと浸透しつつ、しかも全く別のものとして際立」せる。そして、この「切れ」は、この場所の全一的な魅力を勃興し、人々の身を揺さぶる。私は、「切れ」よって魅力が際立ったこの場所に、彼らの幸せな未来を描いた。

<祈りの型> 

 

能舞台の上で能役者が、ある型をもって、決まった型をもってじっと、沈黙して行動している、その事柄がかえってどれほど雄弁に何事かを語るかという経験を、自分にかぶせて確かに読むことができる。(中略)型を持った行為は舞台で行われている。舞台は行為の器のようなものでしょう。ですが、この器は、水を入れるための普通の器のように均質、中性なものではないはずです。舞台は行為に相応しく、そのためにしつらえられているのでしょう。しかも同時に、それはそれ自体としても、行為の型と響き合うような独自の型を持っていると言っていいのかもしれません。p.54

 

田中喬著,鏡の会編:田中喬講演集 人間と建築, 山代印刷, 限定私家版, 1994.8

 

この両者(広島平和記念公園と厳島神社)に共通するものこそ、場所の性格と可能性、すなわち地霊の発見という態度である。日本の建築のもつもっとも深い存在基盤はなにかといえば、それは場所に対する感覚なのである。(中略)特別な意味を持つ場所を建築群によってつくり上げることこそ、日本建築のもっとも深い伝統なのである。[括弧は筆者] pp.46,47

鈴木博之:日本の地霊, 角川文庫, 初版, 2018.3.25

 

 プラダー・ウィリ症候群は、年齢とともに症状が変化することが特徴の一つと言われている(注1)。

 我々作り手は、彼らに寄り添うことができるだろうか。

 我々作り手は、家はつくれても、医者のように治療することはできない。両親のように手を握ることすら叶わない。しかし、我々にできることはある。それは、彼と彼を愛する人々が、幸せに過ごせる家を作ることだ。そして、時に神々の力をも借りたいと思ったときに、ふっと手を合わせたくなる、そんな舞台を創り出すことだと私は思った。

 

 この家には、「切れ」の「技巧」の他に、「祈り」の「型」が施されている。祈りには行為の型がある。信仰にかかわらず、人は掌を合わせ、目を瞑る。祈りは、「決まった型をもってじっと、沈黙」した行動であり、それ自身が「雄弁に何事かを語る」。そして、「型を持った行為は舞台で行われ」る。この家の「舞台」は、唯一公私が重層する玄関である。玄関は、住まい手とこの家を訪れる人々の接点である。彼は齢2歳にして、両親だけではなく多くの人々に愛されている。祈りの舞台は、両親だけでなく彼を愛する数多の人々のためにあるべきではないか。そのために玄関が祈りの舞台となりえないだろうかと模索した。

 ある時、この家の玄関から帽子岩に結ばれる一筋の軸線が発見された。発見したのは私ではなく、施主であった。夏場の設計期間中、私は幾度となくこの場所を訪れた。しかし、帽子岩の発見には至れなかった。なぜなら、生い茂る原生林に隠されて、この場所からは帽子岩が見えなかったからだ。網走を愛する施主の心像が、帽子岩を捉えた。

 帽子岩は、網走のシンボルであり、アイヌ民族には「カムイ・ワタラ」(神の岩)と呼ばれた。その昔、この地方のアイヌ民族は、流氷明けの沖へ海獣猟に出る前に、帽子岩に登って祈りを捧げたとされる。帽子岩は、網走の人々にとって特別な存在であり、原風景の一部である。 私には発見できないはずである。

宮永敏明:わがまち遺産 帽子岩(網走市),朝日新聞デジタル, 2017.11.26,

http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20171127011580001.html, 2020年1月7日閲覧(一部引用)

 施主が発見した帽子岩に結ばれる一筋の軸線は、厳島神社や広島平和記念公園にみられる軸線とよく似ていた。厳島神社には、厳島の霊峰弥山から厳島神社の本社、大鳥居、そして海へと結ぶ一筋の軸線が存在する。この軸線は、小舟から霊峰弥山へ捧げられる祈りの舞台をつくり上げていた。また、広島平和記念公園には、原爆ドームから元安川を渡り、トンネル型の慰霊碑、そして平和記念資料館へと結ぶ一筋の軸線が存在する。この軸線は、慰霊碑越しに平和と向き合う祈りの舞台をつくり上げていた。この家では、施主によって帽子岩から流氷漂うオホーツク海を超えて、原生林、そして玄関へと結ばれる一筋の軸線が発見された。この軸線は、彼を愛する人々の祈りの舞台となりえるだろうと確信した。

 さて、3つの軸線に共通するものは何か。それは、「場所の性格と可能性、すなわち地霊の発見という態度」である。そして、「場所に対する感覚」を基盤に「特別な意味を持つ場所を建築群によってつくり上げ」ようとする切なる想いであろう。帽子岩は、この家の玄関を真の祈りの舞台へと昇華させる可能性を秘めている。彼のための祈りの舞台は、祈りの「行為に相応しく、そのためにしつらえられ」、舞台自身「としても、行為の型と響き合うような独自の型を持」ったと言えるだろうか。

 季の家に込められた <切れ>と<祈りの型>は、一人のプラダー・ウィリ症候群の彼に贈る、ささやかなメッセージである。

注1:プラダー・ウィリ症候群は、3歳頃までは筋緊張低下が目立つが、次第に改善して成長とともに活動的になる。新生児期には哺乳力低下がみられ、食べる機能の発達もゆっくりだが、幼児期からは食物への過剰な関心と食欲亢進がみられるようになり、肥満傾向になりやすい。このほか、発達遅延、低身長などを特徴としていて、難病(注2)に指定されている。患者数は出生10,000~15,000人に1人である。この数はダウン症候群の約10分1であり、先天性の疾患としては稀ではない。  プラダー・ウィリ症候群は症状が多岐にわたるため、さまざまな分野の専門家が協力した包括的なケアが重要である。出生直後から医師、栄養士、理学療法士、作業療法士などの専門家が関わり、成長とともに、保育士、教職員、公認心理師などが関わるようになる。根本的治療法はないが、食事療法と運動療法が基本である。そしてその基礎となる場所は、住まう家である。  生活の場で大切なことは、家族が集い、皆で楽しく食事ができる場があることと、彼らの手の届く所に安易に食べ物を放置しない事である。そして日常生活の中で、自然に運動量が多くなることが望ましい。そして、運動を強要するのではなく、一緒に運動に付き合うことも大切である。日常生活そのものが、自然と食事療法や運動療法につながるような家が理想的である。
注2:「難病の患者に対する医療等に関する法律」が平成27年に制定された。そして、法の基本理念に基づき、基本的な方針が策定された。そのなかでは次のように述べられている。  「難病は、一定の割合で発症することが避けられず、その確率は低いものの、国民の誰もが発症する可能性があり、難病の患者及びその家族を社会が包含し、支援していくことがふさわしいとの認識を基本として、広く国民の理解を得ながら難病対策を推進することが必要である。」  「難病対策は、難病の克服を目指し、難病の患者が長期にわたり療養生活を送りながらも社会参加への機会が確保され、地域社会において尊厳を持って生きることができるよう、共生社会の実現に向けて、難病の特性に応じて、社会福祉その他の関連施策との有機的な連携に配慮しつつ、総合的に実施されることが必要である。」

注1,注2:社会福祉法人聖母会聖母病院小児科 猪野雅孝

【プラダー・ウィリ症候群を考慮した建築計画】

追記

 令和元年5月1日、彼は多くの人に愛され、旅立ってしまった。享年4歳。「季の家」は雅季との思いがつまった場所となっている。(父、母より)

Photographs | © Ookura Hideki / Kurome Photo Studio

© 2020 by MABUCHI Daiu created

02 見守られる食卓

キッチンから自然に食卓へ繋がることで、家族が集い皆で楽しく食事ができる場を目指した。